あすらん blog

日々の独り言をつづっていきます

新潮45が示す表現の自由

憲法で定められた「基本的人権」の一つとして「表現の自由」が
あるが、それはもちろん《公共の福祉に反しない》という
条件付きなのだ

だから「どんなことでもOK」という事ではない

国の在り方を思い、国家権力を批判するのは表現の自由
守られるべきこと
ただし差別や誹謗中傷・ヘイトのように他人を傷つける目的の
表現は...本来の表現の自由とは言わない

新潮45が提起した「痴漢する自由」の発言とその養護は
他者の「基本的人権」を排除した許されないものだ

まあ...新潮45は読んだこともないのだが、これからも絶対に
読むべきじゃないなと個人的に思ったところだ
(休刊になったようですが、雑誌の方針がそうなのだから
人権を大切にするなら復活しても読まないことを決意する)

権利には必ず義務が存在する。そうでなければ権利自体が
存在しなくなるからだ

基本的人権の尊重」とは、自分の人権を守る権利があるが
同時に他人の権利を侵害してはならないという義務があってのこと

痴漢する自由は認めない...だから罰せられるべきだ
人を殺す自由はは認めない...だから罰せられるべきだ
ほかにもあるが...

権利と義務については国民の大半が誤解もしているが
自由と責任も誤解しているのかな?

逃げれば...言い逃れれば...見つからなければ...そんな国民が
多すぎるようにNEWSを見ていると思えても来る


一時期は日本全国で週末には必ず「ヘイト集会」があったが
日本国自体も「ヘイト=表現の自由」だと思っているようだ
無知な人だから政治家で居られるのだろうが、「おもてなし」
しながら「帰れ」とオリンピックなどでは叫び続けるのかな?

民間でも問題だった「障害者(この呼び方は嫌いだが)」雇用について
国の行政機関ではもっとひどい状況で、机の上の数字だけ
ごまかしていた
取り締まる行政側が法律を守らなくても良いと...それも数字だけ
の操作で良いと示してしまった

医学系大学では入試で女性蔑視の制度で公平であるべき入試を
行っていた
理由が悪だから秘密にしていたのだ
正当な理由なら、募集時にしっかりと言えばよいのに
入試制度そのものに反することをやり、関係者と名乗る人たちが
「しかたがない」と言うが、認められる部分は一切ない
まあ...男であれば出来が悪くてもメスを持たせるつもりなの
だろうし、入学後は男なら「外科」へと自動登録されるのだろう
受験生には平等に入学する権利は認めておらず
入学後は進むべき診療科を選ぶ自由はない

そこにとどめとして新潮45が「痴漢する自由」として
女性蔑視・差別を自由にやってよいと認めていたのだ


まあ...残念ながら人間の本能には「差別・蔑視をやめる」という
ものはないから、人それぞれの理性によるだけだ
だから...日本社会からはこの手の問題は無くならない
いや...問題とすら理解できない輩が必ずいる
だからこそ、そんな人たちの自由は罰をもって
しても、理性ある国民を守ることが、国の義務なのだ