学校はなんのため?
感染症が騒がれて、学校としての「休校」などの時
さらには個人的とはいえ、「陽性」や「濃厚接触者」となった時
学校に問われるのは「学びの補償」という言葉
これは理屈は通るのだが、実際には当事者を苦しめることになる
休校の場合は数字的に対応するだけなのでそれほどの苦しみは無い
が、個人ごとでの「補償」となると別の問題だ
現実になったことの一例として...
両親と子供2人の4人家族で、両親が「陽性」、下の子も「陽性」
当然上の子(男子高校生)は『濃厚接触者』となる
その高校生に対し「学びの補償」と振りかざして「1日6時間程度の課題」
を2週間分出してほしいと...
こんなことを教育の現場(委員会)ではまじめに指導してくるのか?
もちろん在宅ではあるが...
1日のうち6時間は課題に取り組ませ、他の時間で家族全員の世話や
食事を用意する
家族全員が個室で暮らせればよいが、色んな所を共用している
もちろん課題が済めば、毎日の学校からのチェック...電話対応も
しなければならない
そんな状況だと...ストレスはどうなる?
それを教育界は「正当なこと」として強制し続けるのか??
新型コロナの対応をみていると、「補償」はさせるが「補助」はしない
知識を得ることが、心のケアよりも優先のようだ
英単語や数式を覚えさせれば学校は良い!?
『学びの補償』とはなんなのか?