あすらん blog

日々の独り言をつづっていきます

3.11 それからどうなった?

3.11の被害は揺れも大きかったが、なんといっても爪痕として

津波」と「原発事故」が上げられる

津波は、阪神淡路での死者の2倍ともいえる1万人越えを出し

海辺の街並みなど、あたり一面を一瞬でがれきの山とかえて

しまった

車も船も、陸地で山積みになり、これまでに無い風景になった

そして『復興』が日本人に重くのしかかってきたのが2011年でも

あります

ガレキの撤去から復興は始まるとも言えますが、未だに

行方不明者が2500人を超え、「もしかしたらがれきの下に家族が?」

と思うと、復興は急ぎたいが重機でバキバキゴリゴリとは

したくないというのも、思いです

結局、自衛隊やボランティアなどが最初は撤去するしかありませんでした

さらに日本人たちが復興の妨げになってきます

同時にあった原発の水蒸気爆発で放射性物質が出たとして

現地のガレキ処理施設などが倒壊などで使えず、全国の処理施設で

していこうとしたときに、地元からの反対運動が起こります

(地元じゃない他人が乗り込んで反対しているなんて噂も)

京都の「大」文字焼きなどでは福島のガレキを燃やして...は

放射能があるものを燃やすな」と反対が起こり中止

となりの新潟の三条市でも大量のガレキ処理を市が申し出たら

「フクシマの物はフクシマで処理しろ」と反対が!!

これらはほんの一例ですが、理不尽な仕打ちを日本人はしてきました

ちなみに、放射線量などは測ったうえで、ガレキ処理に危険が

無いことを確認してから持ち出そうとしていたのですが、妄想で

「怖い」という人たちが居たのは確かですね

そういう人たちには科学的な説得などは通じません

そんな「反フクシマ」な日本人が騒ぎだす中でも、助けたいと

ボランティアたちは立ち上がりました

阪神淡路で助けてもらったから...新潟中越で助けてもらった...

そんな人たちをはじめとして、全国からボランティアが入って

応急処置的な復興を支えてきました

本当にボランティア達の心が、被災地を、東日本を、そして

日本を支える力となりました

自分ならどっちになりたい?

「怖い」と言って被災地やフクシマを否定して差別して遠ざけますか?

それとも

「お互いさまだから」と自分ができることで助けたいと思いますか?

(なんか。。今の状況に重なってしまいますね)

せめて...3.11の日付は後者でありたいと決意する日なのかも